台風の中二人

ブーン!ブーン!
「えっ!」
突然のすぐ近くから聞こえた音に驚きノートから顔を上げると、私の携帯がいままさに机の端から落ちようとするところだった。

きわどいところでキャッチし、周りを見渡すと冷たい視線が…

「すっ、すいません…」

急いで携帯のバイブ機能を止める。
時刻を見ると「18:00」と表示されていた。
「もう六時か…あ、メールがきてる。」

『今日は台風だから早目に帰ってきなさい。』

お母さんからだ。
すぐに返信のメールを送る。

「図書館でレポートやっていました、今から帰ります…っと、送信!」

ノートや筆記用具をしまいながらブラインドごしに外を見ると、もう怪しい雰囲気が出ていた。まさに台風接近中といった感じ。

手早く鞄に荷物をつめ、図書館を出る。
エレベーターで一階まで降り、外に出ようとすると

ガガガガガガガガ!

「うわ…」

ザーザーという音ではなく、ガガガという音。
突き刺さるような威力の雨はもはや槍のようにも見える。

「これじゃ、無理だよね…」

カバンから折りたたみ傘を取り出し、そのあまりの脆弱さに溜め息をつく。
ガラスに移る自分の顔を見ると、湿気でツインにまとめた髪がボサボサになっていた。

「ふおおぉぉ、恥ずかしい…」
といくばくかの効果を期待して手櫛をする。

仕方なくロビーに備え付けられているソファーに座り小康状態になるのを待つ事にした。
ソファーには私と同じように雨が弱くなるのを待つ人がぽつぽつと。

その中、ちょうど私と真向かいの席に見知った顔が見えた。リューちゃんだ。何やら文庫本を読んでいる様子。

そっと立ち上がり、リューちゃんの後ろに回り込む。

そしてリューちゃんの左肩に手をかける。

「…」
「…」

あれ?反応が無い?
もしかして人違い?

そんな想像に全身がぶわっと寒気だつ。

手をかけられた人は右手ひとつで文庫本を鞄にしまうと何やら考え込み始めた。

その間の私は心中ヒヤヒヤもの、引っ込みのつかないこの手をいかようにしたものか…


「えーと、この時間にここにいる可能性が高いのは彩夏か堀内なんだよな。で、この手の感触からすると彩夏。正解をどうぞ。」

くるっと向けたその顔は、やはりリューちゃんだった。

「ご明察だよ、リューちゃん。」

「ん、正解の商品は後払いでいいぞ。」

リューちゃんは荷物を持ってソファーから立つと窓のほうへと歩いていった。

「やみそうもないな…」

眉をひそめ口をとがらすリューちゃん。これは何かを決心する時の顔だ。

「彩夏は傘持ってるのか?」
「折りたたみのならあるけど…この雨じゃ壊れちゃいそうだよ。リューちゃんは?」
「見ての通り、だ。」
手をひらひらさせる。
「しょうがない、俺は帰るわ。不幸中の幸いか濡れて困るような物は持ってないからな。」
「濡れるよ!?しとどに!」
「しとどにって、また珍しい形容詞だな。」
苦笑するリューちゃん。でもこの雨の中傘もささずに帰ったら絶対風邪をひく。
生協ももう閉まっているし、近くにコンビニも無い…あ、そうだ!サークル室に置き傘があるかもしれない!

「そのまま帰ったら風邪引くよ。サークル室に置きがさあるかもしれないから、まずサークル室行こう?」
「サークル室か、確かに残ってるかもな。しかしこの雨の中サークル室までダッシュか…よし!行ってくる!」「あ、待ってよ!」

いきなりカバンを抱えて走り出すリューちゃん、置いていかれた感がある私も慌てて追いかける。

ガガガガガガガガ!
バシャバシャバシャバシャ!

ひどい雨風の中走る私達、ふだんなら歩いて30秒といった近いサークル棟もこんな時は遠く感じる。
雨は私を押し潰さんとするように背中を打ちつける。

先にリューちゃんがサークル棟についた。ついで私も追い着く。

「すっごい雨だね!こんな短い時間なのにもうびしょびしょだよ…」
「あぁヤバイな、確かに傘が無いと電車にも乗るのがためらわれる…ってオイ!なんで彩夏まできてるんだよ!」
「え?だって傘を取りにきたんでしょ?いきなりリューちゃん走り出すし…」
うつむくリューちゃん。
「あのなぁ、走りだしたから追いかけてきたって。御前はあれか、犬か。」
「犬とかヒドイね、私だって傘欲しいからきたんだよ。」
「だから…俺がサークル室から2本借りてきて、御前に1本渡せばいいことだろうが。」「あ…」
確かにそうだ。
「いや、でも、取ってきてくれるとかそういう話はしてなかったし!」
「はいはい…取り敢えず部屋行くぞ。」
反論は受け付けられず。少しくやしい。

階段を上り三階へ、私たちの所属するIT研究会は三階の中ほどにある。何処から向かおうと最も遠いサークル室だ。
今度は私が先行し、ドアへと手をかける。
「鍵はかかってないね、中に誰かいるのかな?」
ドアを開けると部屋の中は暖かかった。雨で冷えた外とは大違いだ。
そして奥の机の下には寝袋に包まって誰か横になっているようだ。そっとしておいてあげよう。
「カサは・・・無いか。皆考えることは同じみたいだな。」
「疲れたっ!」
彩夏はぼふっと景気のいい音を当ててソファ−にダイビングする。
「帰らないのか?」
「ん〜、今帰ろうとするとすごいことになっちゃうよ。だってココまでくるのにもこんなに濡れちゃったんだよ?」
確かに、彩夏の身体は直視してはいけないんじゃないかと思われるほど濡れてしまっている。
「おまえ、着替えたほうがいいんじゃないのか?このままじゃカゼひくぞ?」
この窮地を脱するため、ひとつの案を提案してみる。
しかしよく考えてみると、自宅でもないのに着替えなぞあるはずもない。
「あ〜そうだね。着替えたほうがいいね〜」
え?と驚く暇もなく、彼女はソファから立ち、自分に割り当てられた棚へと手を伸ばす。
「体育のときの着替えいれてあるんだよね〜」と棚を探る。
「おまえ・・・いや、いいんだけどさ。まがりなりにも女性のはしくれなんだからそんなもん置くなよ。」
例え所属しているサ−クルとはいえ、男ばかりの部屋に着替えを用意しておくのはいかがなものか。長い付き合いだがコイツの常識の無さにはある意味頭が下がる。
「そんなもんとか言わないでよ〜、この服結構高かったんだよ?」
値段の話ではない。
彼女のどいたソファへと足を運び、座る。そうしていると
「ん〜〜〜〜〜・・・」とうめき声が聞こえた。
(起こしちまったか?)
この夕方に寝ているというと、阿夛利先輩の可能性が高い。
阿夛利鷲見(あたり・すみ)、平たく言うとサ−クルのOGで、去年学部は卒業したが今は院生だ。
まだまだサ−クル棟に居座っているおり、女性であるのに自宅ではなく大学の研究室に泊まることが多い。研究が忙しいからとはよく言っているが、家に帰るのがめんどくさいから、というのが本音だろう。
このサ−クルに入るきっかけとなったのもこの人だ。
さきほどのうめき声はただの寝言だったらしい、起きだす気配はない。
「おっけ〜あったあった。着替えるね。」
彩夏がいきなり言い出す。
「ちょっと待て!今外に出るから!」
外に出て彩夏が着替え終わるのを待つ、外を見るとまだまだ雨は強いようだ。
少し待つと中から入っていいよと声がした。
「しかし寒いな・・・これが低気圧ってヤツの影響か?」
ドアを開け、外の寒さを伝える。
「ですなぁ、低気圧ですなぁ。」
「お前意味判ってんのか・・・」
「リュ−ちゃんが判っていれば問題ないよ。」
再認識、やはりコイツはノリで生きている。試行錯誤などしたことがないんだろう。
「お〜け〜、寒いなら暖かいものを飲むべきだ!さっきの正解の商品も兼ねて、新しく入荷した葉を広げてあげよう!」
そういうと彩夏は棚から茶葉を取り出した。
「商品ってなんだよ?」
「ん?さっきソファ−のところで言ってたじゃない。」
あ−、そういやそんなことも言ったな・・・人のこと言っている場合じゃない、自分自身もノリで生きているようなもんだ。
彩夏は棚から次いで大きな器具を取り出した、いわゆる『葉をひらく』道具だ。
今まで何度も入れてもらっているが、その味はまちまち。素直においしいといえる時もあるが、苦くて飲めたもんじゃないときも多々ある。
むしろそっちのほうが多い。
「今回はうまくいれてくれるんだろうな」
「ちっちっ、リュ−ちゃんだめだよ?何回言えばいいのかな、入れるじゃなくて『葉をひらく』。お茶会でも『たてる』っていうでしょ?」
「わかったわかった、ひらくでいいからちゃんとやってくれよ・・・」
会話をしながらも彩夏は手早く準備を進めていく、専用のサジで茶葉をとり、分量を計る。
いつもは間の抜けた顔のくせに、このときだけは真剣そのもの。勝負士の顔つきとでも言えばよいのか。
「あ」
「どうかしたか?」
「ごめん・・・お湯沸かしてきて・・・」

大きなジュ−サ−みたいな器具に葉をいれ、電気ポットからお湯を注ぐ。
「ああっ、葉っぱに直接かけちゃだめだよ!」
「そういう事は早く言え!」
「ジョ−シキだよ!」
すったもんだのちに彩夏にバトンタッチ。
彩夏はタイマ−を手に取り、一定の間隔で葉を滞留させる。
葉が泳ぐたびにコ−ヒ−に落としたミルクのごとく、色が舞い遊ぶ。
今回の色は・・・
「凄いなこの色・・・まるで鼻血みたいだな」
「リュ−ちゃん、その例えは最悪だと思うよ・・・」
「確かに鼻血は失礼かもしれんな、飲む気がうせる」
「自業自得だよ・・・はい、できあがり。」
そう言いながら葉を取り上げる彩夏、長く入れていると味が変わるからだそうだ。
紙コップを取り出し、テ−ブルの上に置く、何処から取り出したのかクッキ−のオマケつきだ。
「あ−・・・私の分も用意してくれ。」
「あっ、鷲見先輩。おはようございます。了解しました−。」
鷲見先輩はもぞもぞと寝袋から這い出し立ち上がると、猫のように「んなぁ−」と声を出しながら伸びをした。身長は170cm後半で、リュ−ちゃんより高い。前にスポ−ツやっていたんですかと聞いたら「狩り」とだけ答えられた事があった。
先輩は生物学を専攻しているらしく、あながち「狩り」というのもウソじゃない気がする。
短く切りそろえられ、少し茶色に脱色された髪はヤマネコやピュ−マを連想させる。
メガネをかけ、白衣の胸ポケットからタバコを出した先輩に慌てて声をかける。
「鷲見先輩ここは禁煙ですよ!タバコはお茶を飲んでからにしましょうよ。ささっ、こっちへどうぞ。今日はベリ−の葉を開いてみたんですよ。」
彩夏が先輩と話している間、俺は紙コップにお茶を注ぐ。匂いに関しては何も問題ないが、味はどうか・・・
「ではどうぞ、めしあがれ。」
彩夏の号令と共に紙コップに手をかける。しかしなにやら不穏な気配を感じ、左に座る彩夏を見やる。
「どうぞ、めしあがれ。」
彩夏の手に紙コップは見当たらない。
ついで右に座る先輩を見やる。
「どうぞ、めしあがれ。」
勤めて冷静を装っている先輩だが、語尾に押し殺したクックックという笑い声を俺は聞き逃さなかった。
絶対騙されている・・・しかしこの状況の打破は無理だろう、毎回新しい物を飲まされるたびにこんな目に遭っているのだから決心も決めやすい。覚悟。
紙コップを持ち上げ口元へと持っていくと、香る甘いベリーの匂い。イケるんじゃないかと少し期待してしまうくらいだ。
ゴクッゴクッ。
「どうだった?おいしい?」
「ん、なかなか。」
「じゃあ私も頂こうか。」
そして先輩も口をつける。
「どうですか?」
「苦いな・・・鼻血みたいな味がする・・・」
「ゲホッゲホッ、カハッ!」
先輩の素晴らしい感想に、思わず気管に茶を流しいれてしまった。
「あー、死ぬかと思いましたよ!先輩、例えが上手すぎです。」
ティッシュを取り、少し鼻から逆流した茶を拭き取る。
「そんなはずはないよ・・・」
と、彩夏は呟きながら口をつける。
一口、二口、そして紙コップを置き、口を開く。
「うう、リューちゃんが鼻血とか言うから悪いんだよ!なんかもう、鼻血のイメージしかわかないよ・・・」
ソムリエじゃあるまいし、イメージとかどうでもいいんじゃないかと思うが、彩夏が結構ご立腹のようなので口には出さないでおく。
先輩はと見ると意に介した様子はなく、ポリポリとクッキーをつまんでいる。
「このクッキーは柑橘系のチップが入っているようだね、何が入ってる?」
「えと、ブラッドオレンジですね。ジュースではよくありますけど、クッキーには少し珍しいですね。」
と彩夏がクッキーの袋を見て言った。
「ほう、ブラッドか。血の繋がりが感じられてこの組み合わせもいいんじゃないか?」
「もう!鷲見さんまでいいますか!」
感情をストレートに出す彩夏とは対照的にハハハと大人っぽい笑いで切り返す先輩、半分でもいいから見習ってくれればラクなんだがなぁ・・・



「先輩は今日も泊まるんですか?」
もくもくと無表情にクッキーをほおばる先輩に話題を振ってみる。
「そうだな、研究の区切りが悪いから今日は泊まる。データをまとめ終わったら一度家に帰るつもりだが。」
一度って、どれだけ大学に泊まる比率が高いのだろうか。
「そんなによく大学に泊まって家族から心配されませんか?」
「それは大丈夫、日ごろの行いがいいからな。」
万事抜かりなし、そんな自信に満ち溢れた物言いだ。
「はーい、皆さん飲み終わりましたね?では、ごちそうさまでした!」
「「ごちそうさまでした」」
全員で手を合わせ、儀礼を尽くす。形だけでも礼をしておくか、といった理由だ。
窓の外を見るとさきほどよりは雨も弱くなっている、帰るなら今のうちだ。
「彩夏、雨も弱くなってきたし帰るぞ」
「でもカサがないよ・・・どうする?」
ああ、根本的な問題が残っていた。すっかり忘れていた。
「カサを持ってきてないのか?珍しいことをするな。」
「だって久しぶりに晴れの予報だったんですよ?嬉しくて折り畳み傘でもいいかなって思ったんですよ。」
「いくら晴れの予報でも折り畳み傘しか持ってこないなんて小学生でもしないぞ?傘くらいちゃんと持って来いよ。」
「そういうリューちゃんはどうしたんだよぉ、傘持ってないじゃないかー。」
「俺は盗まれたんだよ。元から持ってきていないお前とは話が違う。」
ぶー、と頬を膨らませる彩夏を見て、大きくため息をついてやる。
「池村、そんなに猪瀬をいじめるな。傘なら庶務課で学生証を出せば借りられるだろう?雨が強くなる前に帰れ。」
「判りました!ほらリューちゃん帰るよ!」
「おい、ひっぱるな!それじゃ先輩また明日!」


慌ただしく部室を出て行く二人、それを見送るものが一人。
鷲見は胸ポケットからタバコを取り出し、火をつける。そして吸いながら今日の台風は何号だったかと考える。
窓を開け喚起を促すと、冷たい空気が入ってきた。もう冬も本番、12月1日だ。
もう一度深く吸い込み、そして吐き出す。思い出した。今回の台風は81号だ。


#第一章了


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